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受想行結(じゅそうこうけつ)がムズイ?

聞いたことない言葉かもしれません。声松メソッドのオリジナルの造語だからです。

仏教に精通する方からは、受想行識(じゅそうぎょうしき)という心のはたらきの段階を説明するもののことでは?と聞かれますが、すみません、受想行識のことは勉強したことがなく、同じですとも違いますとも言えません。

少なくとも、メソッドの中で「心が受け取ったものを歌詞やメロディーにし、その受け取ったものから感じることがあり、歌う。歌っている時点でそれは受け取ったもの、つまりインプットしたことを無意識に歌っていて、受け取ったことが無いものは歌えないよね。だからあなたが受け取ったものの全てを歌にすることで、あなたにしか歌えない歌となる。それは鍵盤の話でね…」と、長ーーーーーーーーーい説明が必要な伝え方をしてきていました。

受想行識のことでは?というご指摘をいただいた時に、そうか四字熟語風味にするとシンプルになるな!と、読み方が酷似していることはわかった上で受想行結(じゅそうこうけつ)と名付けるきっかけになったことは事実です。

そしてこれは、僕が音楽を自分で奏でたり、ボイストレーナーとして人に教えるようになってしばらくしてから体系的にメソッド化できた独自のものなので、何かの引用ではありません。

で、つまりそれってなんなのよ。というのを文章化してブログに書き切ることは難しいのでとてもわかりやすくいうと、

「それぞれの受想行結を素直に使えば、10人が10人とも同じ曲を歌ったとしても、全然違う曲に聞こえる」

ということを言っているのです。歌うということは声を出すので、その人の声帯の長さや厚さ、振動の仕方、骨格や筋肉のつき方からくる響き方なんかが加わるので、全然違うものになる。それは、作った人へのリスペクトが無いからではなく、歌う人(つまり魂やイノチ)の受想行結が違うのだから当然のことなんですよね。

歌詞に「あなた」という、相手を示す言葉から浮かべる”あなた”が、全員同じわけないんですから。もっと限定的に、「母」という言葉だったとしても。

ここまで書いていて、「そんなの当たり前じゃん」と思った方!本当にその通りです!では、何故

曲のストーリーから連想される架空のあなたを歌うのですか?

レッスンしていると、よく「この曲はこういう曲だから」と、一生懸命その曲が伝えようとしているストーリーを理解し、表現しようとする人がとても多いです。曲から何かを自分に取り入れて。

だから、例えば失恋の悲しい曲だと受け取った曲を歌うとき、悲しそうに歌います。ところで、あなたにとって失恋は悲しいものなの?と聞くと、いや…悲しいというかムカつきます。ふざけんなって感じです。という返答があったりします。なので、じゃあ、この曲は少なくともその怒りをそのまま表現して歌ってみて。とアドバイスすると、

「!?!?」

という反応になるんですよね。いやいや何を言っているんですかと鼻で笑う人もいるし、そんなことしていいんですか?と許可を求める人もいますし、いろいろです。それじゃあ怒りMAXの曲になっちゃうじゃないですかーと、気が引けるみたいです。

ところで、なんで怒りが生まれるの?と聞くと、聞いてくださいよ!と出会った頃からの回想が始まり、また感情が蘇ってきたりなんかして。その怒りが表に出てきた時歌ってみると、とても悲しく、傷付いていたことに気付いてくれます。

そうなんです。歌は、いつでも本来の自分に気付かせてくれます。あなたはどうやって生きてきたの?今、何を感じているの?何を望んでいるの?と、耳を傾け続けてくれています。アラジンに出てくるジーニーみたいなんですよね。このランプの精、絶対音楽のことだわ!と感動したのを覚えています。

ランプを擦ると出てくるから、レッスンはみなさんに、まずランプを手に取ることと、擦り方を教えている感覚です。ジャファーの状態で擦ると、大変なことになることも…

少し話が逸れたように感じるかもしれませんが、受想行結の概念の中にはランプの精がいつも登場していますので本筋からはずれていません。ジーニーは、本来の声、心の声を聞いている存在だからです。

続きはまた今度…

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